今回は長崎天洋丸の竹下千代太さんを取材させていただきました。竹下さんとは去年2024年の4月に長崎県雲仙市で行われた「煮干しサミット」でお会いしました。当日は、イベント運営でお忙しくされており、ゆっくりお話しする時間はなかったのですが、その後も新聞等で活躍を拝見しており、いつかまたゆっくり意見交換ができないかなぁと思っていたのですが、今回取材をさせていただけることとなりました!
やはり、水産業界でバリバリ活躍している竹下さんですが、共通の知り合いが多すぎて「あ!あの人元気にしてる??」と何度も話が脱線しながらとっても楽しい取材となりました。長時間にわたる取材に応じてくださってありがとうございました!!
竹下さんについて教えてください。

株式会社天洋丸というまき網会社の代表をしている竹下千代太です。
長崎県雲仙市出身で、東京海洋大学を卒業した後にマルハでサラリーマンとして様々な経験をしました。ですが、「現場で働きたい」という気持ちを抑えられず、2001年に雲仙にUターンして家業であるまき網漁業を継ぎました。
現在は、年中従業員を雇えるように6次化などのさまざまな事業を展開したり、漁業界の入り口を広げるために「一年漁師」という雇用形態に取り組んだりしています。
かーりぃ一年漁師については今後の記事でも紹介しますが、詳しくは天洋丸のHPでも確認できます。画期的な取り組みなので漁師になってみたい人はぜひチェックしてみてください!
竹下さんの生い立ちについてお伺いしたいです。

幼少期は普通の田舎の子供でしたよ。今は酒飲まないと、あまり喋らないくらいには落ち着いたけど、昔は全然違って、ちょろちょろ動き回って落ち着きがなくて、人の話を集中して聴くこともできなくて、今でいうADHD的な症状がある子供だったかな。
昔住んでいたところはね、今はもうしっかり整備されてしまったけど、昔はもっと自然のままの海が家の前に広がっていたんですよ。石波止ってわかるかな?
かーりぃ石波止ですか??
今の港って、岸壁がストンと落ちるような感じで船が横付けできるようになっているところが多いけど、昔は石を積んだだけで船も横付けできないような波止が多かったんだよね。そういう波止を石波止っていうんだけど、そこから降りていくと石と石の間に、魚とかサザエやアワビもたくさんいたんだよね。中学生の頃はそういうのを獲ってこっそり売ってました。

部活は陸上部で長距離をやっていたんだけど、あまり体力があったかと言われるとそこそこだったんだよね。でも、普段からよく潜ってたから、素潜りでは誰にも負けなかったよ(笑)
かーりぃそこは漁師魂ですね!(笑)
竹下さんは天洋丸の何代目になるんですか?
戦前はその時に金になるものを売って商売をしていたんですが、まき網は祖父が戦後になってから始めました。それは出資者として船を買って地元の人を船に乗せていたので、自分が漁師として乗っていたわけではなかったんですよね。そこから数えると私で3代目になります。
昔の浜では、特に今都会で働く人たちとは働くという感覚が全く違って、仕事よりそこでの生活があって、そこで生活をするために何か商売をしていました。例えば目の前に海があれば魚を獲りに行けばよかったし、魚を獲りに行くのであれば釣りが一番お金がかかりませんでした。

昔は今みたいに漁業許可はあってないようなもんだったから、刺網とかは道具を作って獲りにいく人もいました。それが昔の沿岸漁業の人たちだったんだろうと思いますね。
だんだん今のしっかりした漁業許可制度になってから橘湾のまき網は狭い湾内でしか操業できなくなったんです。まき網は人が要るので、昔は農家の人たちが手伝いに来てくれていたんですが、だんだんそれもできなくなってきてしまいました。
長崎の他の海区の人たちは、広い海の許可があるので獲れる時に獲りに行けるけど、橘湾の船団は、湾内に魚がいない時はお休みになってしまうんです。だから、周年人を雇用することが難しくて、人材不足のためフェードアウトしようとしていたところに私が帰ってきたんです。

まき網をするのには人が必要で、人を雇うためには周年の仕事を作らなくてはならなくて。私はそんな橘湾でまき網漁師として周年人を雇用できる会社を作りたくて、イワガキの養殖や小型定置などさまざまなことに取り組んでいます。
かーりぃ天洋丸の取り組みについては、天洋丸の公式Instagramの方で随時発信活動を行っています。ぜひフォローしてください✨
天洋丸を先代から受け継いだ背景について教えてください。
うちは「継げ」とも言われなかったし、「継ごう」とも思っていなかったですよ。こんな大変な仕事を子供に継がせたくなかったんじゃないかな。「もうやめてもいい」っていう感じでした。全国どこも儲かってる漁業者さんは子供に結構継がせたりしますけど、あまり儲かっていない漁業者さんは自分の子供は漁師にしたくないっていうところも多い気がしますね。
かーりぃそれでも継いだのは何かきっかけとかあったんですか?
継ぐつもりもなかったけど、「絶対継がない!」とも思ってなかったし、なんも考えていなかったかな。「今の若い子は」とはいうけど、当時の自分たちもあんまり何も考えていない人も多かったですよ。僕も都会には出たかったから、漠然と学校の成績の偏差値に応じて大学受けてって感じで、水産やりたいとか漁師をやりたいとかは思っていなかったです。

だから、かーりぃさんとか、海洋大の水産人カレッジの子たちが現場見たいとかってきてくれるじゃないですか。それって本当にすごいなぁと思ってて。自分が学生の頃とか、将来のこととかそんな真剣に考えていなかったし、水産業をやろうとも思っていなかったし、成り行きで漁師になることになったのに、今の学生ってすごいなぁと思ってて。感心していますよ。
かーりぃありがとうございます!こうやっていろんな水産業の現場を見せてもらえるのって竹下さんのような方々が受け入れてくれるからでもあります!
後を継ぐまでは何をしていたんですか?
理系の中でも水産系は入りやすくて、兄弟も4人もいて国公立が良かったので、東京海洋大学(旧東京水産大学)へ進学しました。その後マルハニチロ(旧大洋漁業)に就職したのですが、それもなんも考えずに流れに身を任せていたらずっと水産の世界にいました。当時はまだバブル期で、その頃就職は売手市場で、すんなり決まってしまったんです。

たまたま配属先がまき網漁業課というところで、4年間その部署で働いていました。 7〜10月は駐在で釧路にいた時もありましたよ。マイワシがちょうど獲れて終焉を迎えるまで、大型まき網を追いかけて仕事をしていたんです。釧路のあとは三陸、冬場は新潟の事務所にいたこともありました。
その後、加工食品課で缶詰やソーセージとかノリとかを販売したり、転勤族であちこち引越しながら働いていたのですが、長女が幼稚園の年長になる直前、35歳の時に地元長崎県の南串山に戻ってきました。
かーりぃ結構都会長かったんですね。奥さんとはマルハニチロに所属している時に出会ったんですか?
妻と出会ったのは大学生の時でした。卒業してから大学の学園祭「海鷹祭」の時に再会して付き合ったんです。結婚したのは静岡にいた時でした。それから山形に転勤になって長女が生まれて、仙台に行って次女が生まれて、名古屋行って、長男がお腹にいる時に南串山に帰ってきたんですよ。
かーりぃなんか羨ましいです。そんなに津々浦々でいろんな経験をされながらちゃんと結婚して、子供にも恵まれて😳✨
漠然とですが、会社入って早い段階で、いずれは南串山に帰ろうかと考えていましたね。名古屋にいる時に、親に「いずれ帰ろうと思うから」と気持ちを伝えた時には「せっかく就職したんだから帰ってこなくていい」と説得されました。でも、「それでもやっぱり帰ろうと思ってるから」って言って帰ったんですよ。
マルハニチロではどんなお仕事をされてきたんですか?

僕は、華やかな都会生活に憧れて、東京に出てきてそのまま就職したんです。そんなこだわっていなかったし、そんな深く考えていなかった。ただ、就職してしまったら、もうキャリアについて深く考えたりいろんな進路を経験したりする余裕もなくて。学生の時は時間はいくらでもあるけど、お金はないし。就職したら、お金はあるけど自由な時間はなかったですね。
当時の一般企業は当たり前に「24時間働けますか?」って言われていたぐらいで、会社に入ると残業は当たり前でした。その上、入った部署が漁船相手の仕事だったから、一度出張に行ったらずっと帰ってこれないし。東京の豊海に会社の独身寮があったんだけど、出張でほとんど住んでいなかったんですよ。でも、自分が思い描いていた都会のサラリーマン生活とは全然違ったけど、やれば面白い仕事でしたよ。
かーりぃ結構ホテル生活だったってことですか?
いや、船を追っかけて出張するんだけど、要所の港に事務所を構えてて、しばらくそこで生活していました。1年目の時は海外まき網船。まき網漁業課には近海まき網と、海外まき網の担当部署があって。私は海外まき網担当だったから、大体焼津か枕崎か山川に行ってました。
大体海外まき網船は1ヶ月から40日のサイクルで帰ってくるんだけど、マルハ所属の船が5隻あったので、やっと帰れるかなと思ったらまた次の船が帰ってくるから、結構家には帰って来れなかったんですよね。
海外まき網船を追っかけてどんな業務をしてたんですか?

水揚げに立ち会って市場とやりとりしたり、港で乗組員のアテンドをしたり、今でいう陸業務かな。あと、修理があったら鉄工所手配したりしてました。スポーツで言えば漁師さんたちがプレーヤーだとしたら、マネージャーみたいな感じかな。漁師さんたちはマルハニチロの社員ではないんですよね、マルハニチロが雇ってるから本社に戻ったら、報告、実績集計、歩合計算、等々事務仕事をしていました。
今度は煮干しサミットはいつやるんですか?
来年2026年の秋に第2回煮干しサミットを観音寺市がやってくれるとのことで、まだ少し時間はあるんだけど、ぜひ山陰の方とか北陸、四国、近畿とか、たくさんの人にきて欲しいので、日程が決まったらまた告知しますね!
去年、煮干しサミットを開催した小浜は公共交通機関もバスしかなくて集客には不向きな立地ではあったんだけど、すごいたくさんの人がきてくれたんですよね。第一回だったから鳥羽一郎さんとかはまゆうさんとかにもきていただいてお祭りのようにたくさんの人を集めたんだけど、初めてだったのもあって「知らなかった」「行きたかった」という人も多かったので、次回はもっと事前に少しでも早く声をかけ初めて1人でも多くの人に来て欲しいんですよね。
かーりぃぜひ私もそれまでにもっとビックになって少しでもたくさんの人集められるように頑張りますね!煮干しサミットのinstagramはこちら!
天洋丸の漁業や取り組みについてもたくさんお聞きしたのですが、あまりにも長くなり過ぎてしまいそうなので、今回の記事はこの辺で一旦区切ろうと思います。続編をお楽しみに!!
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