昆布漁師インタビュー|第1章「昆布ヒーローが明かす灰色の過去」

 今回は、北海道広尾町で拾い昆布漁とつぶ籠漁を営んでいる保志さんを取材しました。「北海道で頑張ってる漁師さんいますか?」と聞けば、誰もがすぐに名前を挙げる漁師さんです。

 私も一度保志さんが昆布干しをしている昆布の浜を訪れたことがあるんですけど、めちゃくちゃ想いも強くて行動力も体力もバケモノの保志さんに圧倒されてしまいました。この記事だけでは収まりきらない保志さんの生き様ですが、まずは自己紹介から書きましたので、じっくり読んでいただけると幸いです。

目次

保志さんの生い立ちについて教えてください。

 広尾生まれ広尾育ち、生粋の広尾町民の保志弘一です。保志家はうちの祖父が起こして、僕で3代目になります。祖父はその後次の代が継ぐってなったときに、後継ぎが一人前になるまでしっかり見届けてから分家するということを大事にしていた人なんです。

 昔から「人のため」に生きる人で、なんなら人の借金まで一緒に背負ってしまうような人でした。素直にそう言ったことができる人ってとてもすごいと思ってて、それが私のじいちゃんのちょっとした自慢です。そして2代目がうちの父親で、まだ完全には引き継いでいないんですが、今年から船頭をやり始めたので実質私が3代目になります。

保志さん自身はどういった幼少期を過ごされていたんですか?

 山に行ってどんぐり拾ってきたりとか、川に行って秋鮭に突撃しに行ったりとか、絵に描いたようなわかりやすい野生児でした(笑)完全に自分が漁師を継ぐんだ!と強い意志を持っていたかというと、決してそうではなかったんです。

 でも、生まれた時から、自分の生活と漁業というものが常に一緒にあったので、小学校上がる前から親戚の昆布干し手伝ってたりとか、小学校上がってからも夜中の2時頃からさけます漁のリアカー押しを手伝ったりしていました。

 船から魚をあげて選別し終わったのをリアカーいっぱいに積んで組合に持って行ったり、いか釣り船が帰ってきた時に発泡詰めを家族みんなで手伝ったり、ずっとしていました。その時は苦痛とかではなくて、家族みんなで「行くぞ!」と言った感じで、生まれてから漁業というのが暮らしの一部でした。

かーりぃ

とはいえ漁師なんて特殊な職業、ためらいとかはありませんでしたか??

 元々マルチタスクは苦手だし、手先も器用じゃなかったから、普通漁師のみんなが3年ぐらいかけて覚えるものも5〜6年かけないと覚えられなくて、センスはあまりなかったんです。ただ、体力だけはあったんです。

漁師デビューは一生船上生活のイカ釣り

 高校卒業後、資格を取りに鹿部にある道立漁業研修所に通いました。その総合コースを履修して実家に帰って即羅臼に行き、強制いか釣り生活がスタートしました。いか釣りは別名「旅船」と呼ばれていて、年間で見ても家に2ヶ月ぐらいしかいなかったし、家にいるって言っても十勝の海域でとれてる時しかいませんでした。

 1月は長崎〜壱岐〜対馬あたりでいか釣りして2〜3月は山口〜島根〜鳥取のあたりを行ったり来たりしてて、5〜6月は石川〜新潟海区、6月から北海道解禁になるので北海道の日本海側を回って、だんだん太平洋側の道東、最後羅臼で終わりと言ったようなスケジュール感で漁をしていました。

 ずっと船上生活だから、入港した時は洗濯したり次の食糧買いに行ったりしなきゃいけないんですよ。入港する時には、その港の近くに水や食料はあるのか、お風呂はあるのか、コインランドリーはあるのかばかり考えていました。当然借金もあったからあまり使えるお金もなくて、仕事するしかない生活だったんですよ。

 他の漁師さんたちは飲みに行ったり、パチンコに行ったりするじゃないですか。ないんよ、お金も時間も。漁師コミュニティって結構独特でコミュニケーションの取り方としてパチンコや酒の話ってするじゃないですか。だから漁師のコミュニティになかなか染まらなかったのね。当時は完全にオタクでしたね。

 それが多分今の私を作り上げているのかなとも思います。ただ、漁師でもコミュニティに馴染めるかは仕事上でもとても大事で、1週間帰って来ないようなさけます流し網漁みたいな船だったら、狭い空間の中で、コミュニティに入れない人間が1人いるだけで、全ての悪いことがこの1人に集まってくるんです。

 それが人生で一番苦しかったですね。俺の20代前半は灰色も灰色でした。

かーりぃ

今、第6次化だけでなくて観光や教育について手広く動きまくっている保志さんの熱量の過去にはそういった苦労があったんですね。

 前半ちょっと沈んだ人生を生きてきて、後半の今アクセル全開で突き進んでいるのはね、「絶対回収してやる!」っていう想いがあるからですね。一つ決めてる復讐の方法があるんですが、まぁそれは私と仲良くなった人に直接お話ししようかな(笑)

 漁師というコミュニティに染まらなかったもんだから回り道はすごくしたと思う。けど、その分オタクであったりとか、漁師じゃない仲間たちの存在も含めて、最近は自分の居場所とか自分のスタンスが徐々に確立されてきて、今まで自分と関わってきた人たち全員で人生逆転に向かってるなと思っています。

 なんかすごく今そういうステージなんですよね。余談ですが、雑誌が作れるくらいネタはたくさんありますよ(笑)今まで受けた理不尽を一つまみずつ取り上げて「理不尽ひとつまみ」っていう雑誌作ろうかな。

 そのくらいあんまり20代前半って家の仕事として関わってたはいいんだけど、あまり漁師の仕事は向いていなかったし辛かったです。想像してみて、365日全長18mの船の中でずっと父親と一緒に生活するって。そんな船上生活を3〜4年過ごしてたから、俺が人生で一番話してるの間違いなく父親だね。

かーりぃ

喧嘩することもあったと思うんですけど、それでもちゃんと船の上で会話し続けたんですね、頑張りましたね!

 究極どっちが諦めるかだから。自我を強く持てる人は突っぱねて、最終的には父親の背中を超えていく人生になると思うんだけど、俺はぶつかってそこに自分のエネルギーを使うぐらいだったら、一歩引いて対話した方が速いと思ったんですよ。

かーりぃ

それをちゃんと行動にうつすためには、自分の中で飲み込んでから本当にいい選択肢を取ることが大事だと思ってて。それってできるようになるまでに、すごい時間かかると思うんですよ。

 時間はかかったよ。なかなか濃い経験をした20代だったからね。そういう意味では、他人様のさけます流し網の船に乗った後、「まだ自分ちの船だからいいや」というのと、反対に、「自分ちだからこそ逃げ場がない」という辛さもあったかな。

 逃げ出したくなるような辛い仕事が自分の家の仕事だったから、本当に海に飛び降りて死ぬくらいしかなくて。診断は受けていないけど、当時は鬱っぽい症状も持っていたような気がします。

 でもダメなりに5年、10年漁師をしてると慣れてきて、ある程度人並みにできるようになってきて。そしたら、少しだけ周りが見えるようになってきたんです。体力だけはあったのでそこそこの仕事を無尽蔵にできるようにもなってきてて。そんな中、だんだん高齢化で人が足りなくなってきたんですよ。

 うちの初代や父親と比べられると全然レベルは低いんだけど、今この歳の自分って父親の時よりは働き手として価値が高かったんです。我が身を置いてたコミュニティも外にあったから、漁師としてできることも全然違ったんですよね。

今されている漁業について教えてください。

 今うちは、つぶ籠漁と昆布漁の2つを年間ちょうど2つに分けてやっています。11月中旬から翌年4月いっぱいまではつぶ籠漁、5〜6月までは前年採った昆布の選別をして、7〜10月までは新昆布を採ってます。長くなってしまうのでつぶ籠漁についてはまた別の記事にしますね。

おじいさんからは何漁を受け継いだんですか?

 元々うちの船は、11tの船でさけます流し網、いか釣り、毛蟹漁をメインでやっていたんですよ。でも、さけます流し網は、そもそも沿岸に群れも来なくなってしまって資源管理的側面で辞めることなり、いか釣りも資源が減って獲れなくなってしまったんです。

 そんな最中に組合から「昆布やってみたら?」というアドバイスがあって、昆布漁に転換したのはここ10年くらいなんです。

今も新しいことに挑戦し続けている保志さんですが、どうしてここまでアグレッシブに動きまくっているんですか?

 お金がなかったし、実際に昆布だけでは生活できなかったからですね。このまま単純に昆布だけを続けていてもジリ貧になるだけだし、お金かけても失敗する可能性もある。でも、どうせ潰れるなら、足掻きまくろうと思って足掻いてるって感じです。

 生活費を捻出するために父親と一生懸命、補助金とかいろんな情報を収集してやっていました。その最中で昆布のチャレンジについて、金ないのにできるわけないだろう!でも補助金使って、工夫して試行錯誤やってみたらなんとかなったんだよね。

 最初は、本当にやるのかやらないのかみたいな感じだったけど、ちょうど事業再構築にかかる初期費用の3分の2の補助が出るという話もあって。総事業費1100万だったんだけど、昆布の儲けが年間300〜400万で、乾燥機があれば昆布の収入は絶対もっと上がると考えていました。であれば実質の手出し400万。

 これはおそらく自分がフルコミットすればなんとかなるし、星屑昆布のブランド化はそれプラスの上乗せとして後々効いてくるはず。だからやるべきじゃないかって父親に力説しました。

かーりぃ

やってること起業家ですよ!

 この短年で事業再構築と船や権利を切り替えるためにすごい金額動かしたのに、赤潮で資源が全部飛ぶっていうね、本当にビビったよ。赤潮も次回の記事で詳しく話しましょう。

星屑昆布って何ですか?

 星屑昆布は、規格外で出荷できない昆布の端材をアップサイクルして生まれた商品なんです。漁協の仕組みとして水揚げした水産物は全量出荷するのが原則なんですが、昆布を規格サイズに細断したときに出てしまう端材は今まで商品として流通させることなく廃棄していました。これを粉末状にして万能調味料にしたのが「星屑昆布」です。

 星屑昆布を商品化していく中で、この浜には今まで想像もできないような出会いができたり、起こらなかったはずのイノベーションが起こり続けています。「星屑昆布」は、基本地域と産業の課題解決でもあり、さまざまな新しい風を吹き込んでくれています。未来の水産業に対しての選択肢と可能性でもあると思ってます。

あと、ネーミングはダジャレです(笑)

昆布以外は自分で直販はやってないんですか?

 そうですね、今の所6次化は儲けるためにやってるわけではないので、あまり他の魚種にまで広げていないんですよね。ただ、つぶ貝や未利用魚に関しては、6次化とは相性は悪くないと思っているので、いずれやるかもしれないですね。

 今昆布でネットワークとかノウハウを獲得して、自分たちの確信力が出てきた時に、もし必要とされれば、つぶ貝もやってみようかなって思ってます。それができれば年中通してアイテムを揃えられますよね。

昆布は大体いつでも出荷できるんですか?出荷できない時期はありますか?

 基本的に7月から翌年の6月までに出荷のサイクルの中で、一年分を出荷するスケジュールなので、在庫があれば年中出荷できます。よっぽど需要があって自分のストックがなくならない限り通年出荷できますよ。5〜6月の選別している時期から拾い昆布を始めて、10月までは昆布を収穫します。

かーりぃ

乾燥ものの昆布は保存が利くので便利ですね!

 冷凍・冷蔵設備を必要としてないので、既存の設備に対して衛生管理の対策に注力するぐらいの運用コストに抑えられました。レターパックにする事で、これから取引したい・サンプル欲しいと言う人にとっても運用コストを下げられるのが良い形になるかなと思ってます。歴史ある業界なので、自分の行動が業界に対して良いか悪いかは慎重に考えてるつもりです。

保志さんのこれからのビジョンについて教えてください。

 いろんな経験を積んできたからこそ、ここから先は今まで苦しかった時でも助けてくれた人たちへ恩返しをするターンだなって思ってます。なんだったら自分たちを攻撃してきた人たちも含めて地域ごと、水産業に関わる人全員がよしと言える「究極の綺麗事」を作りたいです。

 俺はこの取り組みを持って世界平和にも繋げたいって思ってます。昔、「アンパンマンになりたい。」って思ってたんですよね。それが俺の行動の原点だと思ってます。そういう祖父を見ていたからもあると思うんですけど、誰かにとってのヒーローになりたいですね。

そのために今後どのような取り組みをしていきたいですか?

 まず大前提、自分ももっと成長していかなきゃいけないと思っています。自分が成長していく過程で、1人でも多くの人を自分と一緒に豊かにして行きたいなって思ってます。今、星屑昆布をやっていて、自分がこれを世に出すことで、今何かに困っていた人たちに希望を与えたいです。

 星屑昆布の原材料って、市場に出荷しても値がつかない「規格外」の昆布を粉末状に加工したものなんですよね。この星屑昆布を世の中に広めることによって、 「何かに届かなかったものも形を変えて世に届けることで、本物を超えることもできるよ。」というメッセージを届けたいと思っています。その言葉によって救われる人も絶対いると思っていて。だから、ここを自分が体現し続けていきます。

 漁師の本物に技術では届かなかった自分でも、少し変わった立ち位置になってくることができたように、今本気で本質を見ようとしている人や、しがらみから抜け出して世の中を変えたい人たちを次のステージに引き上げることができれば本望です。

 人が人として豊かに生きていくためにできることをよりたくさんの人と一緒に考えていきたい。関わる人たちが「本当にやってよかったね」って言い合える関係って素敵だなと思ってて。そういうのをよりたくさんの人と一緒に一つでも多く世の中に出していきたいと思います。

星屑昆布〜パウチ版〜  ¥600 

おすすめはパイナップルにまぶして食べる「昆布パイナップル」。予想を超えたジューシー感になります。騙されたと思ってチャレンジしてみてください。

まとめ

 今回は、北海道広尾町で輝く保志弘一さんの生業を根掘り葉掘り取材させていただきました。保志さんは今も現在進行形で新しい商品開発や漁村おこし活動に取り組み続けています。保志さんの活動は計り知れなさそうなので第二弾第三弾と続編を書いていきます!

 これからも日本全国津々浦々、漁師さんを訪ねてどういった生業をしているのかを調査し「浜の兄妹」で報告させて頂きます。本当に格好いい漁師さんが日本中にはいますので、その方たちがもっと輝けるように頑張っていきます。

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