みなさんは「斜里」という地域をご存知でしょうか? 北海道知床半島の北側根元にある人口約1万人の街です。非常に人口の少ない街ですが訪れてみると道路や公共施設はとても整備が行き届いていて綺麗な街です。
そんな町の港をほっつき歩いてるとまたまた見つけちゃいました。地元愛溢れる硬派なやり手漁師さん(笑)
伊藤さん率いる北洋丸は、ふるさと納税はもちろん独自のECサイト「北洋丸のとれたて市場」で直販したり、定期的な海岸清掃をしたり、地域や札幌でイベントを開催したり、SNSでも漁の様子を発信したりしています。
今回はそんな斜里町でさけ定置網をされている有限会社北洋共同漁業部の伊藤正吉さんを取材していこうと思います。伊藤さんがなぜこの地域にやってきたのか、その話を紐解くところから取材を始めていきましょう。
自己紹介をよろしくお願いします。

北海道斜里町で鮭漁師をしています。北洋共同漁業部の伊藤正吉です。
生まれは釧路で、母親の実家が今の会社がある斜里町だったので5歳ぐらいの時に斜里に引っ越してきました。
当時の漁業は経済的にも余裕がなくて、俺は大学行きたくても行けなかった。だから「自分の家族にはそういう思いはさせたくない。」っていう気持ちが強くて、子供達は全員大学に行かせたんだよね。大学に行くのが良いのかはわからないけど一応は俺たちの時代は学歴で収入が変わった時代だったし、今でもやっぱり大卒の方が給料いいじゃん?貧乏から脱出するために子供達には大学には行かせてやりたいなって。

それが、今までいろんなことにチャレンジして頑張ってきたモチベーションなんですか?
それだけではないんだけど、現状に満足しない性格なのもあるかな。普通の商売ってさ、100円のものが200円で売れるように頑張るもんだし、どこかの漁師みたいに「魚が安い」って文句いいながら仕事したくなくて。何とか自分たちで付加価値をつけて高くして、簡単じゃないけどその努力は絶対するべきだなって思ってて。かっこよく言えば経営理念かな。
生い立ちについて教えてください
ずっとバレーボールしてたね。斜里の中学のバレーボール部って北海道でも有名で、中学校の時は北海道代表で全国大会に出場したの。

そのちょうど3年後北海道国体があって、その強化選手にもなったから中学時代は月に1、2回くらいは札幌で合宿してたんだよね。その合宿先がもう当時の東海大学付属札幌高等学校 (旧:東海大学付属第四高等学校)で、そこの高校は日本でもトップクラスに強い学校だったから、その時のチームメンバーみんなで東海第四高校に進学したの。

バレー部ってめっちゃスパルタなイメージあるんですけど。
めっっちゃスパルタだよ!ボコボコだよ、ボコボコ!
殴る蹴る当たり前の時代だったから、それはもう、そのイメージ通りだよ。で、日本一取れたのは多分日本一の練習量あったからじゃないかな。斜里の立地的に関東とは違って練習試合とかは頻繁にはできなくて、練習量でカバーするしかなくてバレーしかしてなかったよ。
船にはいつから乗り始めたんですか?
高校卒業してすぐだね。18歳の時、ホタテ漁業からスタートしました。

当時のホタテ漁業はどうでしたか?
斜里の海でホタテ育たなかったんだよ。地撒き式って言って猿払とかと同じやり方でやったんだけど、3年過ぎると貝の縁に「ハリガネムシ」って呼んでる虫がついててしまって、斜里のホタテは大きくならなかったの。他の地域と、斜里にも知床半島側に漁場が1箇所あってそこではその虫は付かなかったんだけど、本当に斜里の前浜だけはその虫に貝食われちゃったんだよね。

「ハリガネムシ」は結構大きいサイズなんですか?
殻に1匹2匹ついているんじゃなくて、虫食い状態に殻の中に寄生してて貝がパリパリ折れちゃう感じだった。カルシウム食ってるのかもしれないな。それで大きくならなかったのと、当時斜里だと60円/kgくらいで値段も安くて、いろんな要因で打ち切りになってしまったんだよね。

そのあとは知床半島の方で、ほっけ、たら、そい、きんきの刺網を10年ぐらいやってた。でも、きんきも今みたいに高くなかったし全然儲からなかったね。今だったら8000~9000円/kgとかするんだけど、当時は高くてもそれの4分の1くらいの値段しかつかなかったから。
刺網やったあとに北洋丸に乗ったんですか?
刺網やってる時に母方でやってたさけ定置からオファーがあって、今の会社(北洋丸)に勤めることになったんだよ。刺網もホタテもダメでうちも結構借金してたところに、さけは獲れるようになってきてたから、そっちに転職したんだよね。「斜里でさけ定置やらないか?今の漁業やってても未来ねぇからあれだべ。」って言われて。俺は当時行きたくなかったんだけど、結局は行くって決めて転職したんですよ。
それが30歳の時だね。その頃からさけの漁は良くなって、ずっと右肩上がりって感じ。

単価も右肩上がり、漁獲量も右肩上がり?
そうだね、当時、6人か7人ぐらい乗ってた船で1億弱ぐらいだったかなぁ。それから、1億も下がることはないままずっと良くなって、最近ではもう4億が当たり前になっちゃったね。去年のシロザケは他の地域で獲れなかったから値崩れしにくくて知床近辺は大漁だったから8.5億越えだったよ。

斜里町は、2021年をのぞく20年間、サケの漁獲量が日本一なんだよね。シロザケはベーリング海からオホーツク海を降りてくるから地形的に知床半島が受け皿になってて、やっぱり斜里町は場所的にもシロザケに特化したところなんだとは思う。
でも斜里町が鮭日本一なのってあまり知られていなくて、もっとPRしていきたいなって思いますね。

シロザケなんて生まれた川に戻ってくるもんじゃないんですか?
回遊ルートどれくらい分かっているんですか?
系群とか分かれてですか?同位体とか調べてるんですか?…割愛
いろんな研究はされてるし、分かってきたことも多いけどまだまだ不確実性はあるよね(笑)
継いだ当時って今の伊藤さんからみるとどんな会社でした?

斜里町には定置網やってるところは15件あったんだけど、北洋丸はその中でも悪い会社だったかもしれないな。水揚げも会社の雰囲気も悪かった。
定置網でも斜里にある15件のうち3つは中定置っていう、組合でもその他扱いになる規模の小さい漁法で、うちもその1つだったの。だからうちが魚を獲ると周りから「中定置は規模が小さいくて経費そんなかからないんだから、そんな獲ったらあれだべ」って言われてたのさ。
北海道の漁業権制度は5年に一度の漁業権の切り替えられるんだけど、やってる年数とか構成員が少ない漁業は立場が弱いんだよね。他の大きな会社がそこで漁業やりたいって言ったらその会社に漁場を取られてしまうルールになってて、それで自分たちの漁場を守るために当時の北斗水産って会社と共同の会社にしたのさ。
ちなみにまだ共同を解消して2年目。漁業法が変わって優劣がなくなったのと、中定置も法人化して構成員が増えて、単独でも大丈夫になったから共同を解消したんです。だからまだその名残でうちの会社は「有限会社 北洋共同漁業部」って名前なんだよね。
行き詰まったことって他にもありましたか?

うちには息子が2人いるんだけど長男はもう組合員になってて、今年は次男も組合員の申し込みをしたんだけどそれも昨年まではダメだったんだよね。

え!なんでですか!?
跡取りはその会社に1人しか認められなかったの。とはいえ、今これだけ人がいなくて外国人も受け入れてる時代にそれをやってるのはおかしいということで制度が見直されたんだ。
どんな漁をしているんですか?
4月1日から仕事スタートなんだけど、そこからカレイ刺網をちょっとやって、4月20日からサクラマス漁。許可的にはいわしますにしんっていう許可なんだけど、6月20日くらいまで続くかな。
7月1日からは、さけます小型定置で8月いっぱいまでカラフトマスを獲りながら、昆布があったら昆布も採るね。その昆布が流氷が来るとちぎれちゃうんだよね、だから流氷がない年に結構獲れるよ。去年は船で知床半島まで行ったかな。ねじり棒っていう棒で昆布を引っ掛けて採ったり、自分たちのロープについているのを採ったりしてるよ。
小型定置は網入れ替えるんですか?

入れ替えるよ。9月からシロザケを狙う定置網を入れるんだけど、6日に陸網を入れて、10日に真ん中の網入れて、12日に沖網を入れます。許可が11月25日までなので、それまでやるって感じ。
昔は、さけ定置をやってるところがさけ定置以外の漁法をすることは認めない。ってルールがあったの。刺網漁業も昆布もやらせてもらえなくて。
でも、刺網や昆布漁みたいな小規模沿岸漁業もだんだん人が減ってきて、水揚げも無くなってきて、このままでは漁協としても漁業収入減るし、「次の世代に今までやってきた漁業を伝えるという意味でもやらせてくれないか」と頼んだけど、認めてもらえなかったの。
2年目も一人一人いろんな説明してみんなに納得してもらって、やっとできるようになったの。

伊藤さん否定されるの大嫌いだから熱くなったんだろうなって言うのが目に見えます(笑)やってみないとわかんないですもんね!
北洋丸の魚はどこで食べられますか??
うちの会社で運営しているECサイト「北洋丸のとれたて市場」やふるさと納税のサイト「さとふる」で購入頂けます。
あとは、道の駅しゃりにも北洋丸の自動販売機を置いてるのでそこでも購入可能です!
今まであった挫折を教えてください。
挫折はやっぱり倒れた時だな。2014年の7月に仕事してたら急に吐き気がして、病院に運ばれたの。激症肝炎っていう死亡リスクの高い病気で、札幌の病院に入院することになったんだよね。
当時、俺が連れてきた若い子達も居たから「自分は倒れてらんねぇ。」と思ってたし。「いつか絶対変えてやるべ。早く上のやつ引退しねぇかな〜」って思ってたらまさかの自分が倒れちゃったわけよ。そいつら残して。
やっぱあの時はキツかったね。
俺が倒れた後も、まだ漁師になって年数少ない若手の子たちは俺がいない状態で回さなきゃいけないし、上のやつのプレッシャーに耐えながら、もがきながら苦しんでやってんだよ。
で、俺にもたまに連絡くれてたんだけど、どうにもしてあげられねぇからさ。「もう連絡しないでくれ」って言ったこともあった。あの時は、今まで俺は何やってきたのかなぁとか、もう漁師には戻れないから別の仕事しようと考えてた。

そしたら社長から「月に一回でいいから顔出してくれねぇか?現場でなくていいから仕事教えてやってくれ」って連絡がきたの。
その年の秋に大しけで鮭定置網の、陸網と中網が網走まで流されてちゃったんだよ。それで、対応できるメンバーがいなくて俺、すぐ札幌から斜里行きのバスに乗ったのよ。
その翌年に今までの船頭もいない中、網を全部変えることになって、近隣の船と網の仕様を変えることにしたんだ。札幌にいながら斜里にいる社長と話をしながら資材発注なんかしてると、仕事のスイッチが入るもんなんだよな。
そのタイミングで今まで底網だったのを浮網に取り替えたんだけど、そしたらすぐに水揚げが斜里で1番になったの。今まで獲れなかったのに、「なんかおかしいことやってんじゃねぇか?」って言われたよ(笑)
これからのビジョンについて教えてください。

「鮭と言えば斜里町」「鮭と言えば北洋丸」って言われるようになりたいですね。鮭と言えば斜里町そんな日を目指してこれからも漁業をやっていきます。
あとは、やっぱりうちで働いてくれている人たち、関わってくれている人たちを幸せにしたいです。幸せっていうのはお金の面もだけど、働く環境もそうだと思っていて、これからも時代に合わせて変えていけるように。やっぱりれが自分の一番の夢ですね。
そのために今後どのような取り組みをしていきたいですか?
やっぱみんなに事業内容についてしっかり理解してもらいたいと思ってます。考え方が違う方向に行ってるとうまくいかないので、そこをちゃんとみんなと話し合いながら、調整しながら、現状のまま円満な人間関係を維持していきたいなと思います。
今年からふるさと納税で寄付金を募って藻場造成や海岸清掃や水質のモニタリングなどの海洋保全活動も始める予定で、これが俺の現役最後の大仕事になるかな。初めての取り組みで不安もあるけど、羅臼の昆布漁師さんとかいろんな研究機関の人たちのアドバイスをもらいながら進めていけたらなと思います。
まとめ

今回は、北海道斜里町のさけ定置網漁師の伊藤さんを取材させていただきました。藻場造成の寄付金に関しては2025年4月からふるさと納税で募集するそうなので、また受付が開始したらその案内と進捗についても取材して記事にしていきたいと思います。
5-10月にはシャチも見れるそうなので、その時期にまた斜里町を訪ねたいなと思います。皆さんもぜひ広大な自然を感じに知床に行ってみてくださいね!
北洋丸の公式ホームページはこちら
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